第5章 ビジネスとの出会い
そして、被災地に帰ったあと、私はボイスレコーダーを元に記事を書きだし、写真と一緒に貼り付けフリーペーパーを作成していた。
パソコンで記事を書き出すうちに、被災地での悲惨な状況、苦しい状況でも生活してる人たち、そしてそんな中でも希望に満ちあふれ、将来の夢に向かっている人たち。
被災地で出会った人たちの様子が、頭の中で蘇ってきた。
私もこのように困っている人、頑張っている人を後押ししたい。
また、昔みたいに引きこもってただ学校帰っては勉強もせすにゲームやテレビばっかりな自分を、今の自分みたいに夢と目標を持って希望に向かって走っていけさせられるような仕事に就きたい。
どんな人だって、少し背中を押せば、誰だって開花することができるんだ。自分だってできたんだから。
「才能なんて関係ない、努力次第でどんな人だって必ず夢は叶えられるんだ」
私はそう自信を持っていた。
それからは、よく地元の図書館に行き、心理学の本を漁っていたり、また本を漁る以外にも心理を学べるなら大学はどこでも良かったのだが、受験では心理学科は倍率が高かったためそれに突破できるように勉強も怠らなかった。
しかし、私はある記事を目にした。
「心理学科は就職に弱い。」
「果たして、その学問を学んだことで果たして社会にどう役立つのか、何の意味があるのか。」
これの記事を見たときに、私も驚いた。
「え。。。意味がわからない。なんで、、、、?」
そもそも私は学科の専攻内容で就職の優劣の差別をつけるのはおかしいし、疑問に感じた。
「心理カウンセラー」って、普通の仕事だと思うし、むしろ弱者を救える素晴らしい仕事だと思ってたのに。。。。
親以外でなく、塾の先生に聞いても、「確かにカウンセラーって食べていくには難しい職だな~」
「そうなんだ、、、確かにカウンセラーにはなりたいけど、お金を得られないのはきついな。。自分もできる限りなら、カウンセラーになるだけでなく、お金をたくさん得て、老後はカウンセラー以外にも、僕はボランティア活動を経てカメラが好きになり、カメラマンとか、どこかの島や海外で過ごしたいなぁ」と思うようになった。
そこで改めて、お金の大切さを実感した。
そして、とある日。
私は地元の友達のかずきの家に行った。
かずきの家はすごい大豪邸で、家が3F建てで地下もあるとても大きな家だった。
かずき自身も、神奈川県ではトップクラスに入る男子校に通っており、めちゃめちゃ優等生であった。
しかし、かずきの父親はほぼ毎日家でいつもジャージ姿でテレビでのんびりとしていた。
普通、高校生の父親の年代といえば、今頃会社とかで部長クラスまで上り詰め、仕事に追われ明け暮れている日だろう。
しかし、かずきの父親だけは違い、毎日好きなことに明け暮れている生活をして、それでもなお1人の子どもと奥さんの分もちゃんと養って生活をしている。
何度かかずきの家に行ったことがある私だが、その生活に疑問を抱いていた。
そして、この際に思い切って聞いてみた。
「なんで、おじさんはこんなに働いてないのにもかかわらず、こんなに生活できるの?」
すると「ははは」と高笑いをし、
「僕は20年前くらいに会社を立ち上げて、しばらくは立ち上げで社長をやっていたんだけど、自分がいなくても利益が出る仕組みを自分で作りあげ、最後は優秀な社員に社長を任せ、そこからオーナー業を始めたからは今はなにもしなくても収入があるんだよ。」
「へー、すごい。。。。。」
「不動産の会社を引退してからは、エステや飲食店、広告業も作って、今は4つの会社のオーナーをしているよ。」
「昔はがむしゃらに動いて大変だったけど、今振り返ればとても良い思い出だよ。」
「おかけで、その努力が報われ、今は不労所得のおかげで好きなことや旅行とかに時間を費やすことができるんだ」
とお話を受けた。
私はその話に衝撃を受けて
心の中で「これだ。。。。」と叫びました。
今となっては心理カウンセラーと起業なんて畑違いなのに、自分でもこんなこと言うのびっくりしましたが、なんか自分の心の中で「起業」がまたカウンセラーとは違う光るものがあったのでしょうか。
自分の中で、「心理カウンセラー以外に、カウンセラーだけでは世の中の弱者や困っている人を救えない」おそらく、自分の中で感情が葛藤していて、それの正しい道が起業ということに気づき、こうなったのかなと思います。
そして、私はかずきの父親にこう話しました。
「おじさん、僕も起業をやってみたいです。。」
「え。。。。??」
「僕も将来、会社を起こしてオーナー業をやってみたいんです。」
「なので、ぜひ教えてください!!!」
「おぉ、急にすごいな。。。。」
大変、驚いた様子だった。
「うーん?けど、そんな起業や社長で誰でもできるわけじゃないし、努力だけで叶えられるものじゃないよ?」
「わかっています。簡単に達成できるものではないというのは承知しております。」
「ですが、僕はどうしても達成したい夢があるんです」
僕は真剣な眼差しで、かずきの父親と目を合わせました。
「なぜ起業したいかの理由は聞かないでおこう」
「そしたら、僕が教えられる範囲内でよければ、教えてあげるよ。」
「本当ですか!?」
「うん、特別だよ。そのかわり今後の一切の妥協はダメだよ。」
「ありがとうございます!」
こうして、私はビジネスを学ぶことにした。
私はかずきの父親に勧められたビジネスのセミナーや異業種交流会にも参加したりした。
横浜から都内までの交通費とセミナーや交流会の参加費は、高校生にとって安い額ではなかった。
しかし、お金に関しては、アルバイトをして補っていた。時給が安いのでは時間が足りなかったので、すごい時は学校を休んで、時給の高い工事現場とか肉体労働で身体を酷使してまで、お金を稼いでいた。これの将来の夢、起業するため、心理カウンセラーになるため、弱者を救うため。
また1人の友達が商業高校に通っていて起業をしたい子がいたので、その商業高校のクラスメイトの人とかと一緒に巻き込んで、高校生の就職斡旋の人材派遣の会社も立ち上げた。
資本金も、その友達の商業高校の担任が元起業家であるため、そこから投資家を紹介してもらい、出資もしてもらった。
そして、私は高二ながらも知り合いが立ち上げた飲食店の開業の立ち上げに携わらせて頂いたりすることができた。
売り上げのエクセルのチェックや、各々の商品の売り上げの率など。
最初はボランティア活動で仕事をする場面が多々あったので、ある程度仕事には自信があったのですが、失敗ばかりで、よく社長や立ち上げメンバーから怒られいた。
最初は諦めていて、「起業なんてどうせできないのかな~」なんて思っていた時期もあった。
しかし、その時に被災地の写真を見た時
「みんなは今もつらい生活を送っているんだ。そう思うと僕の生活なんてぬるま湯だ。」
となり、気合いと根性だけではありますが踏ん張ることができた。
アドバイスをもらい、少しずつではありますが仕事ができるようになってきた。
最初はカウンセラーになる、そして自由な時間を得て好きなことをしたいという夢のために今を頑張らなければならない。と言う思いが強くやらされている感じが強かったのですが、ビジネスに関わることで、0から1になる方法、仲間と一緒に切磋琢磨して大きくしていく、そしてみんなで作り上げたビジネスモデルという芸術作品が社会に評価されて、ますます世の中がよくなっていく。
私はこの過程が素晴らしいなと思っていて、気づいたら私は「ビジネス」というものに完全に魅了されていた。
それからは心理学やカメラの本を漁るだけでなく、ビジネスや営業上達方法のなどの本、コミュニケーション上達方法の本などを読むようになった。
また、それ以外にも受験勉強やバイトやボランティア、塾やテニスクラブなどとにかく大忙いではあったが、それが自分にとって最高に気持ちよかった。
1分1秒も無駄にしない。
確かに、いろいろやってて全てに手が回らなくなるかもしれない。
自分の限界に挑戦したい。
以前の私とは比べものにならないくらい前向きになっていて、後ろを見る暇もなく、前ばかりを見ていました。
特に被災地を訪れたことが今の私のこの活動のプラスになっており、「自分が当たり前であることが改めて恵まれている」ということに気づいた。
「生きているって幸せなんだ。」
「好きなことができているって幸せなんだ」
この時間にありがたみを感じなければ。
そして、今までこんな僕でも背中を押してくれた、仲間や先輩、後輩、企業の方を始めとする大人の人。
1人でも欠けていたら、おそらく今の僕はないだろう。
いつかは、すべての人たちに感謝として何かをgiveしたい。
そういう思いで行動をしているようになった。
自分の中で「想い」をひめて活動をすることによって、何に対して活動しているのか、果たしてそれが何に役に立っているのか。
そうすることによって、自分の中でこれは大事、これは後ででも良いというのが取捨選択できるようにもなっていた。
高三になってからは、受験があったため一度ビジネスやカメラからはドロップアウトし勉強に集中した。
冬には無事に大学に受かり、晴れて念願の大学生になることが決まり、学科も心理学を専攻できる学科に受かることができた。
そして、少年は波乱な生活であった高校を卒業し、私は教育や福祉関係に強い大学に進学するのであった。
To be continue