第3章 ここからが勝負。本当の自分。
建物の中に入り、エレベーターに乗っていき、廊下を歩いて、その横にあった部屋に入った。
部屋の中は、だいたい一般的な学校の教室と同じくらいの大きさだった。
そしたら、そこに私と同じ高校生が30人くらいで、制服着てる人もいれば私服着てる人もいました。
そこで、5人1グループくらいで、討論的なものをしていました。
私はそれを見て、「何を話してるんだろう、、、、」と思いました。
周りをキョロきょろしてると、たくやさんのお母さんがこっちと言って案内されてくれました。
「みんな!一回こっち向いて!」
そう言って、視線が私とたくやのお母さんの方に視線が振り向いた。
「今日、体験見学に来た高校1年生の倉並 諒之くんです。みんな仲良くしてあげてね。」
「は、初めまして。倉並諒之と言います。よろしくお願いします。」
私は大勢の人の前で、おそるおそる自己紹介をした。
今見たところ、NPOが運営している高校生とそして有志で顧問をしている大人のボランディア団体ということがわかった。
そして、たくやのお母さんがこのボランティア団体のメンバーの顧問みたいな役割をしていた。
「なるほどな、学校外の団体だから、みんなこんなにも学校の制服がバラバラなのか。」
たくやの家で話してた時は、とりあえず横浜の関内に来いと言われたもんだから、何も伝えられてなかった。
そして、「りょーのくんは、あっちのグループに入ってもらって良いかしら?」
「あ、はい。」
そして、指示されたグループの方に歩いて座った。
軽く自己紹介をして、「あ、あの、、、初めまして。高校1年生の倉並諒之と言います。よろしくお願いします。」
「おー!私も高1だよー!よろしくね!」
1人の女の子が元気よく笑顔で私に声をかけてくれました。
「私は○○高校のみかっていうの!よろしくね!!」
「あ、そうなんだ。よろしくね。」
もともと小中高とずっと男子校だったので、少々女子に慣れていなくて、戸惑いがありながら反応した。
そして、そのままミーティングが始まった。
さっきまで、みんなあんなワイワイしてたのに、急に真剣な表情になってミーティングが始まりました。
私は宣伝部というところの打ち合わせに参加することになった。
「ここはどうする??次、どこの地域でボランティアする?」
「何の媒体で人を集める?Mixi?」
「ポスター、どうしようか?仮に作って、どこに貼ろうか?駅前かなー??」
「あー、これ間に合わないなーーーー、次まで期限伸ばしてもらうか、、、、」
みんな、一生懸命打ち合わせしてた。
初めて来たもので、難しいことで何について話しているかさっぱり。
周りのグループを見渡しても、いろんな議題が挙げられ、それについてひたすら話す。
しかも、高校生が。
「これどこかの会社に営業かけたら、何かもらえるかな?」
「みんな、すごいな。。自分と同じ高校生なのに。けど、楽しそうだったな。なんかあっという間の2時間だったな。。。」
何よりも、今まで自分もこんな感覚を味わったことがなかった。
何か、ビリビリと稲妻みたいに、今まで自分の死んでた闘志がまるで、ふつふつと燃え上がってきた瞬間だった。
勉強の時でもない、ゲームをしてる時や漫画を読んでる時でもなく、習い事や部活でも味わったことはない。
「すごい、自分の知らない世界があるんだなぁ。」
放心状態の私に、たくやのお母さんが声をかけられた。
「どう楽しかった??」
「あ、、、はい、、、」
「どこが具体的に楽しかった?」
「なんか、、、とにかく楽しかったんです。みんなとこうワイワイするのが。みんなとひとつの物事について話し合ったり頑張るのって、こんなにも楽しいものなんだって。何よりもこういう仲間って良いなあ~って」
「それは良かったわ。りょーのくんをここに連れてきた甲斐があったわ。」
「どうする?入る??」
たくやのお母さんからそう言われた。
その頃は特に大した目標もなく、どこかそれなりの企業に入って、安定して結婚してみたいな感じで思っていた。
けど、ここだと今までの自分の小学校とか中学、高校の知ってる人もいないし、何よりもこの人たちと一緒にいたい。
何もしないよりかは、ここで活動してた方が良いよなと最初は軽い気持ちだった。
「あ、入ります。」
「おー!!!入るんだ!りょーのくん、よろしくねー!!!」
みんな、自分が入ることに喜んでくれた。
こんな見ず知らずの人が入っただけで喜んでもらえるなんて、
メンバーの男の先輩から
「この後、みんなで食事行くんだけど、りょーのくんどう??」
「え、きてもいいんですか?」
「もちろん!りょーのくんのこと色々聞きたいし、来てよ。」
「あ、はい、、、わかりました。」
「俺は△△高校の2年生のシュンって言うんだ。よろしくね!
「あ、よろしくお願いします。」
少し気弱な感じで答えると
「そんな一年生で若いのに元気ないよ!!!元気良く返事っ!!!」
と一つ上の女の先輩に肩組まれて言われた。
「は、、、はいっ!!!」
自分は少し恥ずかしがそうに、顔を真っ赤に思わず大きな声で言ってしまった。
みんなは「ゆいに気に入られて羨ましいなぁ、はははは!」と大笑いしてました。
「この人の名前、ゆいって言うんだ、、、、」
そして、そのままみんなで話しながら会館を後にした。
ミーティングあとは近くのファミレスにて、食事をしてみんなでワイワイしていた。
話は自分の地元の話とか、ボランティアについての話などをした。
「へー!このボランティア団体って、夏休みには地方の地域にも行って泊まり込みで活動するんだ。」
「夏はBBQで冬はみんなでスノボに行くとか楽しそうですね。」
ボランティア団体の話を聞いていると、楽しそうな行事や話ばかりで、聞いてるだけでとてもワクワクしてきた。
初めて自分の同世代の人とご飯行って、皆で初めてカラオケ行って、まるでずっと孤独だった自分に取って夢のような時間であっという間に過ぎていった。
そして、一つ上のしゅん先輩から声をかけられた
「りょーのくん、明日の日曜って空いてる??」
「あ、はい。空いてますけど。。」
「もしよければ、明日メンバーの皆で宣伝部でディズニーランド行くんだけどよければどう??」
「え、今日入ったばっかなのに良いんですか?」
「今日入ったこととか、そんなの関係ないよ。もう君は入ったんだから仲間だよ!」
「仲間、、、、。あ、、はい。ありがとうございます!!!」
そして、ディズニー当日。
朝早く舞浜駅に集合して、ディズニーの中に入った。
みんなで事前に用意した、かぶりものつけて、入っていった。
ディズニーに行った時、私はすごく楽しく時間があっという間に過ぎました。
「りょーのくん、普段、休日は何して過ごすのー??」
「りょーのくん、好きな芸能人はー??」
「りょーのくん、好きな人とかいないのー?笑」
みたいなたわいもない会話もしました。
みんなと楽しく喋り、写真もたくさん撮って、アトラクションもたくさん乗った。
「こっちこっち!スプラッシュマウンテンはあっち!!」
1年の女の子のあやかが年パスも持つくらいディズニーが好きだったので、その子が先陣を切って、みんなを誘導していた。
同じ1年の男子のせんが
「そんなにディズニー詳しいなら、今度彼氏できた時に便利だなぁー笑、まぁできないと思うけど笑」
「な、なによ!それっ!!!!!」
みんなは「あははははは!」と笑ってた。
昨日初めて出会ったばっかなのに、まるで何年前から繋がっていたかのように仲良くなりました。
何よりも、みんな優しくて、こんな入ったばかりなのに、仲良くしてくれてすごい嬉しかった。
そして、あっという間に夕暮れになっていきました。
こんなあっという間に時間が過ぎていくのはまるで初めてでした。
自分は感じた。
「仲間や友達っていいなぁ。こうやって、昨日みたいに、1つのことにみんなで打ち込めたり、いろんなところで遊べたり、本気で悩みを打ち明けたり。もっともっとこう言う人たちと関わって、自分の視野や何か大きなことをしていけたら良いなぁ。」
昨日ではありますが私は仲間に出会ってこう言う風に思えるようになりました。
この時、自分の仲間に出会えて、考え方がポジティブになっていき、までの自分の心にあった闇が取り払われたような感じでした。
そして、気づいていくうちに私はこの活動が自分の高校生活の中心となっていた。
しかし、私が高校1年生の2011年の3月11日に日本を襲うある悲劇が起きた。
そう、それはみんなも知ってる「東日本大震災だ」。
私はこの出来事で価値観が大きく変わった。
そして、高校2年の夏、実際に被災地の方に訪れ、私の今やってるフリーランス活動としての最初の原点が起きた。
第2章 少し見えた希望の光
高校入学
入学式の日
新たにクラスが配属され、そこの教室に行きました。
新しいクラスメイトはもともと付属の中学もあったことから、半分は顔見知りでもう半分は知らない人という構成でした。
他にも制服もネクタイの柄しか変わらず、キャンパスの場所も幼稚園からカウントすると10年以上変わらず、また男子校というのも変わらなかったため、全く新鮮味がなかった。
「あと3年もいるのか、、、早く卒業したい、、、、」
本来は新たな気持ちで迎える入学式の日もそんな感じでした。
授業に入るも中学と変わらない日常。
外部の中学から入った人と頑張って話して友達を増やそうとするも、付属の中学でのクラスメイトから当時の色々な噂や情報が新しい高校からの外部の人に流れたり、もともとの学校の雰囲気に馴染めなかったりで
最終的に友達になることはできませんでした。
そして、親に学校やめたい。通信の学校とか自宅学習でできるところに転校したい、といった。
しかし、「そんなところ行っても仕方ない」と親に跳ね返される日々でした。
「辛い。もう逃げたい。自殺する勇気はないし、どこか島とかに行ってそこで生活しようかな。」
時折、学校行く前に行きたくなさすぎて家のトイレで吐いてた時もあった。
そんな時に、地元の友達のたくやがそれを見かねて、「今度、俺の母親がカウンセラーやっているから見てもらう?」と声をかけてくれました。
当時は色々なことにもっと無知であったため、「カウンセラーって何?」と友達に聞いたら
「そんな人がいるのか。そしたらお願いしたい。」
と言って、その友達からカウンセラーである母親を紹介してもらうことにしました。
そして、学校がない約束の日曜日。
たくやの家に行くと、たくやの母親がいて、私に笑顔で迎えてくれた。
自分はカウンセラーというものに最初は半信半疑だったので、真顔で会釈した。
席に着くと、紅茶をだしてくれて、飲んでみるとなんか不安な気持ちが和らいでくれるようだった。
たくやの母親曰く、「その紅茶には特殊なハーブがあるのよ」と言ってくれた。
「特殊なハーブ、、、、」
たくやはなんとこの後予定があるからと行って、外を出てしまった。
家の中には、たくやの母親と私の2人だけだ。
いきなり、知らない人と家の中で2人きりになって、何を話していいか分からない。
そして、たくやの母親が席に着いた時、私に喋りかけた。
「りょうのくん、、、だっけ、?たくやとはいつからお友達?」
そう尋ねてきた。
「小学生の時です。共通の友達の家で遊んでだのが初対面だったのですが、そこで一緒にゲームして仲良くなりました。」
それに対したくやの母親は「そ〜なんだ、小学生くらいの男の子だと共通の趣味あればすぐに仲良くなるもんね〜!」
次に「たくやと同じ高校1年生?高校はどこ通ってるの?」
高一であると同時に自分の通ってる学校の名前を言うと、
「へぇ〜!そうなのね!頭良いじゃない!名門じゃない!」
と言われたが、自分が名門校には通っていいたが、その中で学力は底辺であるという状況を話した。
「そうなのね〜、けど一生懸命頑張ってるんだね、偉いね。今までよくここまで頑張ってたんだね。」と褒めてくれた。
今までは、親や学校の教師からも頑張っても否定的で評価はされなかったが、初めて頑張った経過について褒めてくれて、気持ちが少し落ち着いてきた。
「普段は何をしているの?趣味は?」
以外にも専門的な質問をしてくるのかと思ったら普通の質問だった。
他にも、たくやの小さい頃の写真を見せてくれたり、中には幼稚園の頃の様子のビデオも見せてくれた。
今思うとおそらく、たくやの母親は私を見てまだこの子は緊張してる、距離を縮ませようと思ったのだろうか。
「今はたくや生意気だけど、昔はちょーかわいかったのよ。あー昔のかわいいたくやに戻って」
私は「あはははは」と小笑いをした。
けど、内心私は、「え、カウンセリングを受けに来たのに、このまま終わってしまうの?」
と不安を感じた。
他にも色々な質問や世間話、またたくやの話やそれ以外にも心理テストのようなもので幾つか聞かされ、1時間弱は経った
「普段、学校ではどうしているの?」
これは僕に対して禁断の質問だ。
ちゃんと、たくやは母親に情報を共有できているのか。疑問に感じた。
そのことも詳しく話し
「学校に行きたくない。僕は勉強もできないし、運動もそこまでできるわけじゃないし、友達も全然いないし、行ったって意味がない」
と、答えました。
「そうなの?そのことは先生やご両親には話したの?」
「話したのですが、まともに取り合ってくれません。あいつら大人のくせに終わってます。」
「そうだったんだ、、本当に辛かったのね、、、」
「もし、よろしければおばさんに話してくれない?」
「、、、、、、、」
「この話はもちろん、たくやには話さないから。逆に私もあなたと共通の知り合いはたくやしかいないから、このことを誰にも話すあてがないし、ね??」
「はい、、、」
「、、、、、、」
「私は独りです。誰からも必要されていないんです」
「何をやってもダメなんです、できないんです。」
「そんな最初から弱腰で物事決めちゃダメじゃない、男でしょ」
「、、、、、、、」
「ねぇ、りょーのくん、周りを見返してみようと思わない?」
「見返す?なにでですか?何もできないのにですか?」
「何もできないなんてないわよ。あなたはこんな辛い状況なのに、逃げずに、こうやって私と会って困難を真正面から受け止めてるじゃない。」
「、、、、、、、、、」
「りょーのくん、あなたは将来何がしたいの?」
「僕は、海外が好きなので将来海外を舞台にする仕事や、テレビとか本が好きなので出版やメディアの企業に少し興味があります。
「へぇ〜!!すごいじゃない!!」
「そしたら周りとのコミュニケーション能力とか必要よね、、、」
「けど人と喋るの苦手なので、コミュニケーション能力上げるのは難しいです。」
「なんで?りょーのくん、優しいんだからたくさん友達できるよ」
「、、、、本当は友達が欲しい、、、、、」
「僕だって仲間や友達が欲しい、、、けど自分は何もできないし無理だ」
「ほら!やっぱり心の奥底では変えたいって気持ちがあるんじゃない!」
その時に、僕は目に涙を浮かべて
「けど、自信がないんです。勇気がないんです、、、、今まで失敗ばかりで何か成功できる自信がないんです。」
その時、たくやの母親が私に優しくそっと抱きついた。
「最初から失敗なんてないわ。まだやってみなきゃわからないじゃない。」
私はもう学校でも迫害され、両親とも喧嘩していて、精神もボロボロだった。
たくやの母親に抱きつかれた瞬間、もう今までのストレスが爆発して、まるで何かが一気に解放されたような瞬間でした。
僕も深くたくやの母親に泣きながら強く抱いて、
「僕だってこんな生活嫌だ!!!!!けど、変えたくてもどうすることもできないんだー!!!」
「自分なんて、誰からも必要されてないんだ、、僕なんてこの世に存在してる価値なんてないんだ、、、もう嫌だ、、、頑張りたくないよ、、、」
今まで溜まっていた、悲しみの感情が全て爆発した瞬間でした。
そしたら、たくやの母親も泣きながら
「そんなことないわ、あなたは必要な人間よ。あなたはただ気が弱いだけ、ちょっとの勇気が足りないの。」
そして、最後に
「りょうのくん、あなたは仲間が欲しいんだっけ?」
「はい。」
「そしたら、今度いいところを紹介するわ、今度の土曜日の15時に横浜から近くの関内に来れる?」
「わかりました、今週の土曜日の15時に関内に行けば良いんですね。」
普通なら予定の内容を聞くのに、僕はその時には聞きませんでした。
なんでかは知らないけど、この人についてば何かが変わるかもしれないと思った。
そう言って、僕は夕焼けの空の下を歩いて、自宅に帰った。
そして1週間後。
その土曜の15時。僕はお昼過ぎまでは学校があったので、帰りのHRが終わりその日は掃除当番だったので掃除をしていた。
掃除が長引いてしまい、予定より出る時間よりも少し遅くなってしまったため、遅刻すると思い、駆け足でバス停まで走って、そのままバスで最寄の駅に着き、関内までブルーラインで乗った。
関内駅に着き、約束の待ち合わせしていたところにいると、たくやの母親がいた。
笑顔で手を振ってくれ、そのまま合流して一緒についていった。
「今日、連れて行くところは、あなたと同じ世代の人が一生懸命頑張っているところなの。」
と言われ、最初は自分でも「この人は何を伝えたいんだろう」と思ってたが、とりあえずついていくことにした。
そして、青年館のような建物のところに到着して、「ここよ」と言われ、入った。
この瞬間、僕の新たな本当の人生の第一歩が始まる。
To Be Continue
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たくやのお母さんのカウンセリングによって、希望の光が少しだけ見えた僕。
「友達が欲しい」「今の現状を変えたい」。果たして、その想いは実現できるのか。
青年館の先には何があるのか。
前回の投稿では、この話で解決する予定だったのですが、どうやら終わらなさそうです。
長くなってしまい、申し訳ありません。
次回の投稿を少しでもお楽しみにして頂ける方がいらっしゃいましたら幸いです。
第1話 どん底な人生
簡単に言うと、私は今フリーランスをしています。
今年の3月に大学卒業して、営業ゴリゴリのベンチャー企業に就職したも、そこの雰囲気に合わず他にも事情があるが会社を辞めてしまいました。
もともと、学生の頃からカメラをしていてフリーカメラマンだったり、イベント企画やインフルエンサーのキャスティング事業等をさせていただいてたため、それを主軸としてフリーランス活動をさせていただいております。
将来的には私も起業を考えていたが、2~3年くらい就職してそこで独立を考えていました。
しかし、まさか私も半年で会社を辞めて、事情をわかっている方も思いますがホームレスになるとは思ってもおりませんでした。
いわば、第二新卒フリーランスないしはホームレスフリーランスです。
周りの方から、何で色々こんなことしてるの?と言われます。
一言で言うと、将来自分で会社を立ちあげてそれでお金をがっぽり儲けて、やりたいことをひたすらやりたいからです。
では、やりたいことって何なのか。
いろいろ叶えたい夢はあるが、大きなものでもともとは心理カウンセラーとか精神保健福祉士になりたかったんです。
私のことを元来知ってる人から見ると、全くイメージできないですよね。
多分、私のイメージって女性のインフルエンサーを使った事業とか芸能やカメラというイメージがあると思うので、、
では、そもそも心理カウンセラーや精神保健福祉士を目指していた私が何で、このような活動をしているのか。
この記事と次回の記事で2つに分かれていますが、お話ししたいと思います。
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今から約15年も前。
小学生の頃だ。
自分で言うのも大変おこがましいですが、幼稚園から高校まで神奈川ではトップクラスに入るような男子校の超真面目な進学校で、それだけでなくスポーツも色々な競技で全国優勝していて、文武両道の学校に通っていました。
親も当時ではまぁまぁ厳しく、小学校の時は体操、水泳、習字、ピアノ、学習塾などと学校が終わった放課後は何かしらやっていたという感じのスケジュールでした。
それでも、もともと小さい頃から何か活動しているのが好きだったので、正直苦ではありませんでしたし、何よりも自分も小学生の時はこれが当たり前だと思っておりました。
そして、中学にそのまま内部進学して、
内部進学以外の人はちゃんと受験勉強して、学校に入学しているため周囲の学習能力はますます上がっていました。
私も最初はその学力についてこなきゃと思い、校内トップとかには全く及ばなかったが、それなりに勉強して校内の中では悪くない成績でした。
自慢にはなってしまいますが、トップクラスの進学校で悪くない成績だったので、地元の友達の勉強の相談にはしばしば乗っていたこともありました。
しかし、その背景にはきつい生活をしており月から金曜まで学校だけでなく、私も中学はテニス部で部活をしていたため、授業が終わった後部活に行って、部活後も塾に行って帰ってくるのが21時頃のような生活をしてました。
また、私立の学校であったため土曜も学校があり、日曜も親の手伝いで早く起こされて全然自由の時間が全くない状態です。
生活のルーティンが勉強して部活行って、たまにちょい地元の友達とゲームしたり地区センターでスポーツしたりして遊ぶ程度でした。
生まれてから、ずっとお堅い環境に育ってきたため、周りのこの勉強漬けや遊びもない生活も当たり前だと思いました。
しかし、心の奥底で「本当にこれで合ってるのかな?」「これが自分のやりたいことなのかな?」と自問自答をするようになりました。
もともと、勉強の才能はなく最初の方はただただ努力して周りの学力の高さに何とか食らいついてたという感じだったので、だんだん努力だけではどうにもならなくなってきました。
自分としては努力してるのに、先生からも「ちゃんと勉強しろ」とか、クラスメイトからも勉強でバカにされていじめられてるようになり、ストレスが溜まりました。
また、努力してほぼ遊べないのに何も良いことないことのストレスが原因で髪も抜けてきて、そこの部分でもさらにいじめがエスカレートされてきました。
そして、ついにこの学力社会の生活に身体が限界を迎えました。
「もう頑張りたくない」となってしまい、今までの辛い感情などが全て爆発しました。
「限界だ。とりあえず、この生活から脱却したい。逃げたい。」
「誰も人なんか信じれるもんか。もう自分は孤立だ。」
「うわぁーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」
こんな辛い環境から逃げて、私は何もかも投げ捨てて自由になりたい。
そんな風に思うように、自暴自棄になり泣き叫んでいました。
親に学校をやめたいと申しましたが、「いいから続けろ」と言われ反対されました。
このころの私は勉強に対するやる気もなく、塾もサボり続けという状態で、ついに部活までも行かなくなり不登校寸前と半分うつ病になり掛けて、親も何でこんな風になってしまったんだと親とも毎日喧嘩の嵐でした。
その時には学校には友達が1人いるかそのくらいになってて、親とも毎日喧嘩して、地元の友達とかも受験があると言ってあまり遊べず、
一応学校には行って授業は受けるが、夜遅くまでネットやゲームしていたためずっと居眠りしていたりほぼ誰とも喋らずに帰り、家に速攻帰って引きこもってゲームや漫画に明け暮れていた生活でした。
時折自殺を考えていたこともありました。
しかし、ナイフを持っても自殺する勇気もなく、何して良いかわからなく一人で発狂して荒れ狂っていました。
そのまま波乱な状況のまま高校に内部進学していきます。
ちょっと長くなってしまったので、高校生活の様子は次回に書きたいと思います。
そして、この高校生活で起きたとある出来事で当時の私の考えが180度変わり、今の自分のまさに原点となるものです。